日本中を震撼させたベレンコ中尉亡命事件

こんにちは。

 

今回はあの有名なベレンコ中尉亡命事件についてです。

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軍事マニアの方は知っている人が多いですが、一般の若い世代だとまだ知らない方もたくさんいらっしゃいます。

 

 

日本は1945年の敗戦により、アメリカの陣営(西側陣営)に所属しているので、当時からすれば大きな衝撃だったでしょう。いきなり見た事のない機体が飛来して来るのですから。

 

 

では、早速解説に入りましょう。^_^

 

 

1.ヴィクトル・ベレンコの概要

昔のソ連。それは情報が全て隠蔽される、北朝鮮の様な独裁国家でした。

 

その様な国に生まれたベレンコは周りの人に恵まれず、不満を持ち続ける日々を送っていました。

 

ベレンコは現状を打開する為、高度な頭脳と肉体を要求する「ソ連赤軍」への入隊を希望しました(この国では優秀な兵士を粛清した後、農民を掻き集めて人海戦術と言うのが常です)。

 

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義勇兵に登録したか?」のプロパガンダポスター

 

ベレンコはソ連軍に入隊しました。

 

そこで当然、あのソ連ですから軍隊の規律は腐り、不正だらけな訳です。

 

ベレンコはその現状に嫌気が差し、何度か上官に報告をするも返り討ちに遭い、亡命を決意

 

ここからベレンコのプランは始まるのです。

 

 

2.ベレンコ中尉亡命事件

1976年、当時ソ連は既に調子が悪く、経済もほぼ壊滅状態でした。そこで、西側諸国への亡命を決意しました。(アフガン侵攻で拍車が掛かり実際に崩壊)

 

ベレンコは訓練と言う名目でMig-25を操縦し、墜落を装う様にして訓練を離脱しました。

 

チュグエフカ基地はロシア極東ウラジオストクにありますから、当然ソ連極東から一番近い西側の窓口である日本にやってくる訳です。

 

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C国やK国(NKは論外)に行こうもんならソ連レベルの環境なので、世界最先端のアメリカへの亡命を希望したのだと考えられます。

 

C国では文化大革命大躍進運動など激動の時代でありましたからそのような場所に外国人が行けば(ましてやソ連は当時中国と対立関係にあった国です)大変なことになるのは明白です。

 

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A Brief Overview of China’s Cultural Revolution | Britannica

まさに今の北朝鮮ですね笑

今は体制は似た様なものでも、発展はしていますがね。

 

K国に関しては当時は独裁政権下ですから、行ったらアウトです。ソ連や中国と比べればいくらか安全かもしれませんがそれでも北朝鮮に行くようなものです。

 

1976年9月6日、時刻は1時でした。

一機のMig-25が明らかに不自然な動きでソ連レーダー網を掻い潜る様に、爆速で飛行しています。

 

ソ連を抜け、日本海を渡った所、北海道が見えてきました。当初ベレンコは千歳空港を目指していましたが、もともと訓練名目で機体を操縦していたので、十分な燃料などあるはずがありません。

 

よって函館空港に強制着陸となりました。

 

また当時の日本は敗戦30年足らずとまだ武器装備なども充実していなかった頃でした。ソ連軍の機体が日本のものとなっても、それらの研究をする事はなかったようです。

 

もし1976年に生きてその光景を見ていたらなんと興奮したことか!

 

考えてみて下さい。函館の上空を眺めていたら、世界最新鋭の期待が空を大きな音を立てて高速で飛行しているのです。

 

考えただけでワクワクが止まらないですね笑

 

これがK国の機体だったら、途中で機体のパーツが吹っ飛んで日本海に飛行機諸共水没、少しすれば全責任を証拠を日本に擦りつけて来るでしょう笑

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NKはMig-29を持っていますが、離陸と同時にパーツが抜け落ち、鉄屑へと変貌するでしょう。

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金正恩氏、空軍部隊を抜き打ち視察し大満足 (2019年4月17日) - エキサイトニュース

 

C国は当時輸入品や低品質コピー機が主流だったため、機体が半分に折れて跡形もなくなりそうです。笑

 

本題に戻りましょう。笑

ベレンコ中尉はその後、手続きを得て渡米。現在75歳と高齢ですが、まだご存命です。

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自分も1976に生きてソ連軍機を生で見てみたかったです。

 

ではこの辺で。

 

ありがとうございました。